さあトーマスという試み
中川真(実行代表者)
 
 
3.制作過程から
 昨年8月にエイブルアート・オンステージの公募の締切があり、9月に採択の報せがありました。そのとき、私信として選考委員のひとりからマルガサリに次のようなメッセージが送られてきました。
「委員会で(マルガサリの案に)難がついたのは、『作品を作るプロセスが大切』などと書いてあり、最終的な作品のクオリティや斬新さの部分に重点を置いていない点、作品の具体的なイメージが見えにくい点などでした。とにかく、作品作りに一番のウェイトを置いてもらいたい、ということです。結果がすべてです。プロセスではありません。舞台芸術の既存の枠を広げていけるような作品、現代アートの批評家の目に十分耐えうる作品、という方針で選抜をしました。だから、とことんまで現代的、実験的、斬新な内容を追求して下さい」。
 これを受けて、本日のステージがあるわけです。これはなかなか重い提言でした。プロセスが大切という部分が評価されなかったのは意外だったのですが、プロフェッショナルな表現を目指すとすれば、結果が最重要というのは当然のことです。しかし、作品の具体的なイメージというのは、正直いって全く見えなかった。それこそ、プロセスのなかで発見するしかないと腹をくくっていました。台本があって、それに関するイメージを出演者同士で共有し、一丸となってそこをめざして収束していくような、見通しのよい状況ではない。その場合、結果はある程度読めるわけですから、その時点で実験的、斬新ではなくなるともいえます。ぼくたちは、そうはしないでいこうと考えました。
 障害のある人と一緒にやっていこうと決心したのは、初めて一緒にやったときの驚きが原点です。意表をつくフレーズや身体の動き。それに伴う繊細さ。単に驚きだけであれば、それは異文化との遭遇と同じなのですが、それとは次元の異なるショックを覚えました。なんといえばいいのか・・・。とにかく、ひとことでいえば、「その後ろをたどってみたい」という気にさせられたのです。話が飛躍しますが、美空ひばりの音楽を愛聴するということは、彼女の感じたことをたどってみたいという欲求の現れではないかと思います。そんな感じ。この人たちは天才だ・・・というのでもないけれど、少なくとも、ぼくには未知の音に対するアプローチを、いまこの目の前で見せてくれているという喜びがあります。しかも、初めての楽器にもかかわらず、手探りみたいなためらいが全くありません。確信をもって音を出している。あるいは踊っている。その直截さは、まことに気持ちがいい。
 そこで、障害をもつ人の表出から、とりわけ面白い部分を抽出し、それに対してみなが反応していくという方針で始めました。全ては即興です。とはいえ、何度かやっていくうちに反応がパターン化していく。思わぬことだったのですが、障害をもつ人たちの表出は、必ずといってよいほど、彼ら/彼女たちによって再現可能なのです。つまり、当たり前のことかもしれないけれど、無茶苦茶ではなく、むしろ「持ち歌」のような存在感すらある。だから、それを拠り所にしてぼくたちは「音楽」や「舞踊」を構成していくことができる。それゆえに、またパターン化に陥っていくのです。
 このパターン化は「見立て」によって克服しようとしました。例えば、ガムランの楽器の置き方を工夫して遊園地や銭湯として見立て、「日曜日の遊園地」とか「真夜中の銭湯」でのパフォーマンスを試みる。それでパターン化からは逃れたものの、今度は、特定の意味性が強くなって、意味不明の斬新さや実験性からは遠ざかっていく。そこで、マルガサリ以外の人材を投入して、別の活性化をはかろうとした。例えば、ジャワの音楽家であるティンブル・ハリョノ氏、オーストラリアのアボリジニの舞踊ポイを追究しているキョンさん、音楽家の野村誠さん・・・。
 とまぁ、あーだこーだと、まさに試行錯誤の連続です。こうやって、ず?っと即興演奏をしていると、毎回の練習で異なった結果となります。面白いときもあれば、面白くないときもある。しかも、この「面白い」「面白くない」もまた、受け止め方によって異なる。あ?、全然ダメだったなぁと思っていた演奏が、とても面白かったと、アーツアポリアの小島剛さんから言われて衝撃を受けたこともあります。いずれにせよ、毎回違う有様を呈してくると、いったいこの作品はどうなるのか、何がいいたいのか・・などなど、最終的な形が見えないことによる不安がみなを支配してくる。美術や映像の方向性も定まりにくくなる。
 そういう時点で、ぼくは大きなミスを犯しました。それは、作品としての形をつくらねばならないと思い、作品へと纏め上げていくベクトルを導入したのです。何しろ、みんなの不安が手に取るように分かる。それまでの練習ノートには、克明に起こった出来事が記され、さらに面白かった演奏や舞踊のパターンも記録されていました。ぼくは次のように考えました。何度も即興演奏を重ねていくうちに、大量のストックができた。そのストック、しかも有効なストックを使って、壮大な作品を作ろう。即興演奏はそのための実験。そして、その大量のデータのなかから、とりわけ面白かったパフォーマンスをうまくつなぎ合わせれば、説得力のある時空間をつくることができるのではないか。また、ワークショップと並行して、障害をもつ人たちとの対話も重ねて、彼/彼女たちの「世界」をもある程度知った。情報的には万全と思われた3月末に、ぼくは綿密な台本を作り、みんなに説明して「これで行くぞ」と宣言したのです。斬新な演奏技法が用いられ、喧噪と静謐のダイナミズムは計算され、しかも第1室と第2室の関係性も巧みに考えられたもので、なかなかイケルのではないかと、ぼくは密かに微笑みました。
 しかし、それからの2?3回の練習は、回を重ねるたびに音楽や舞踊は死んだように面白くなくなっていった。即興性は失われ、みなは台本をなぞり出したのです。いくら、それが「たたき台」であると言ったところで、いったん文字として措定された世界はなかなか揺るがない。ぼくのミスは、結局、即興演奏をしていて偶発的に生まれてきた瞬間を、その文脈から切り取って引き出しの中に入れ、再び取り出してみたら干からびているはずなのに、それに気づかなかったという点に尽きます。障害のある人がもっている再現可能なメロディと、即興で生まれたメロディとは、リアリティ(あるいは賞味期限)の点で雲泥の差がある。それをごっちゃにしてしまったのがミスだったのです。そのとき練習に来てくれた野村誠さんも「全然面白くないですね」とポツリ。確かにそうだ。
 即興演奏で培ったストックは、ぼくのノートのなかではなく、みなの身体のなかにある。それに気づいて、ぼくは台本を捨てました。みなに廃棄してもらいました。
 振り出しのようで、振り出しではない。逆戻りでもない。ぼくたちは、外在的な物語(ストーリー)を捨てたのです。それまでは、曖昧ではありながらも、全体の大まかな流れを意識していた。それら全てを捨てましょうとぼくはいいました。告白すれば、今年の2月の段階では、ふたつの部屋を「無意識の世界」と「日常の世界」、あるいは「底」と「地上」に分け、無意識から意識へ、はたまた下から上へと上昇していく動き・・・、などと想定して、そのイメージをもちながら音や動作を探していました。しかし、それとても、障害をもつ人にはどんなリアリティがあったんだろう。
勝手にぼくたちが作り上げた世界であったわけです。
 さきほどから言っている、彼/彼女たちの再現可能なパターン。それを「まゆみさんの旋律」「萩原マーチ」「はるみさんの結婚」・・などと呼んでいるのですが、いま、ぼくたちがやろうとしていることは、それらともういちど真摯に向かい合うことしかないと思っています。ストーリーもなければ、終着点もない。もはや何のよすがもない。その突き抜けた表現を、どんどん突き抜けさせること。もうやめてくださいと聴いている人が発狂するような音楽。それはないでしょうといわれるような舞踊。
そういうところにまで是非至れればいいなと思っている次第です。
 「障害者と健常者」という枠組みでくくることは無効です。特にアートという現場ではなおさらです。その人らしさの最上のアーティスティックな表現が、この場でできることをめざします。人はみな個性的です。僕と、障害をもつ萩原さんの方が、萩原さんと障害をもつ奥谷さんよりも、近いような気がします。こっちとあっちと考えるから、身動きがとれなくなる。ぼくたちは混ざり合っていますが、決して同化をめざしているのではありません。そのユルイ関係こそが、とりあえずいまぼくたちが到達した地点ではないかと思います。はっきりいって、ぼくにはもはや、(例えば)萩原さんが「障害をもっている」とは思えない。なんて甘い見方だろうという批判は甘んじて受けますが、こと演奏という領域では、なんのハンディも感じさせない。
 こんなことがあります。障害をもつ人たちと一緒にやったときには、とても面白い演奏ができるのに、マルガサリのメンバーだけではなかなかそこに到達できない。これは、かなり焦る状況です。ぼくたちは彼/彼女たちに依存しているのかもしれない。
もし、そうだとしたら、そこからきっぱり決別すべきであり、マルガサリだけでも同様に面白い演奏ができたときに、やっと大きな顔ができます。そして、それもまたエイブルアートであると思います。エイブルアートとは「健常者と障害者の共同作業」ではなく、「あらゆる可能性を自分たちの手元にもつことのできる技術のこと」を指していうのではないかと思います。
 
 
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